[1]
[2]
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 住民が中間地点でローカル・マニフェストを検証する!! (伊達市)
伊達市は、平成18年1月1日に、伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町の5町が合併して、誕生した人口約69000人の市である。
平成20年4月6日に、伊達市で、東北で初めてのローカル・マニフェスト検証評価大会が開催された。だて青年会議所の主催で、前三重県知事で、早稲田大学大学院教授の北川正恭氏をゲストに迎えて、関係者を含めて、約500人が参加して盛大に行われた。伊達市長が、このような大会の開催を受け入れたことは、この地域では、画期的なことかもしれない。
伊達市長のマニフェストは4つの柱からなっていて、第一が、安心して子育てができ、元気な子供が増えるまちづくり、第二が、安心して歳がとれ、生きがいが感じられるまちづくり、第三が、5町それぞれに、個性と地域力のあるまちづくり、第四が、市民と協働で、高品質高効率な行政サービスのまちづくりである。現役市長のマニフェストを、任期の中間地点で市民も参加して、検証していこうという試みは評価できる。実際、ローカル・マニフェストの職員の評価が、61.3点だったのに対して、住民の評価は、52.45点と厳しかった。
市民にとっては、自分たちの住んでいる地域がどのような施策をしようとしているのか直接聞ける貴重な機会であったが、市長は、初めての試みということもあり、政策の中身を十分に市民に伝えたとはいえなかった大会になった。
北川教授は「マニフェストは期限や予算を明示して自分の政策を市民に約束するものであり、実現できるかどうか分からない政策はマニフェストに載せるべきではない」と述べ、「定期的に事後検証を行い、検証結果に応じたマニフェストをつくることで、自治体はどんどん進化していく。マニフェストサイクルを確立していくことが重要です」とまとめた。
こうした大会が定期的に開催され、市の政策に対して、市民が積極的に意見を述べるようになれば、市民の意向が反映されたより開かれ市制が展開できるかもしれない。今後の動向に注目していきたい。
福島市に隣接する中山間地域である伊達市霊山町上小国地区に、農業委員で一般消費者の大友靖子さんと農家の狗飼みよ子さんが発起人となって、04年4月に農作業体験型の学校である「霊山農テク学校」を開校した。
活動は月に1~2回で、基本的に土曜日の午前中に行い、狗飼さんが所有する畑を教室として活用する。メンバーの大半は農業経験のない人たちだが、スタート時には、霊山周辺や福島市から熱意のある9家族25人が参加した。畑の手入れや種まき、苗の植え付け、草むしり、収穫など一連の農作業を農家の人のアドバイスを受けながら行う。栽培する野菜は、種や肥料などは地元のJAから提供を受け、じゃがいも、とうもろこし、白菜、大根,長ネギ、さつまいもなど20種類以上に及ぶ。
また、収穫祭を行い、参加者同士が活動について意見交換をしたり、相互の交流を深める活動も実施している。農テク学校は、消費者親子や農家世帯の親子が参加し、食農教育の場にもなっていて、楽しみながら農業に関する更なる理解の促進が図られる。
05年には,遊休農地を活用して農業を応援する「県北あぶくま農業応援隊」にも加わり、参加者も29家族42人に増加した。
「霊山に限らず、近郊からもたくさんの人に参加してもらい、農業の面白さ、収穫の喜び、食の大切さを共有して、楽しい学校にしたい。そして、それが地域の活性化につながればいいと思う」と大友さんは語ってくれた。
08年の最新の作業の様子を見ると、6月に梅の収穫、いちご狩り、さくらんぼ採りを行い、7月には、キタアカリという品種のじゃがいもの収穫を行うなど、活動は、毎週土曜日を中心に活発に行われているようだ。
---- K.M 著 ---- PR 「住民力」が集まれば、職人も道の駅も元気になる!! (二本松市) 二本松市は西に智恵子抄で知られる安達太良山を望み、東に白山、羽山などの阿武隈山地を有している。東西36キロメートルにおよび、その中央を阿武隈川が南北に悠々と流れている。その昔から二本松藩丹羽十万石の城下町として栄えてきた。05年12月には二本松市、安達町、岩代町、東和町が合併して、新しい二本松市が誕生した。 自力でつくった公園とバスが「住民力」の高さを示す!! (福島市) 福島市は07年に市制施行100周年を迎えた県都である。08年7月には飯野町と合併し、新しい市として生まれ変わった。 福島市は、県中通りの北部に位置し、緑豊かな自然に恵まれ、面積746平方㎞という広大な地域を有し、市の中央部に信夫山がそびえ、東部に阿武隈川が流れる人口約293000人(平成20年3月末現在)の福島県の県都です。
福島県立美術館は市内の森合に1984年7月に開設しました。この敷地は元々福島大学の経済学部のキャンパスだったのですが、福島大学が郊外に移転したため、この敷地に県立の図書館と美術館が建設されました。
福島大学行政政策学類の辻みどり教授のゼミでは、2008年に県立美術館が「地域に親しまれ、魅力あるまちづくり」につなげる研究が行われ、ゼミ生と中国からの交換留学生の8人で、美術館の文化ボランティア活動をするなどして、地域と美術館の関わりについて考えてきました。「初心者の目線で美術館の楽しみ方を検討すること、市民も参加できる活動を展開すること」等の提言をまとめ、美術館に提出しました。
2009年は前年の実績を踏まえて、福島大学の教員、卒業生、学生、県立美術館の学芸員、商工会議所の青年部などの多様なメンバーが参加して「美術館とまちづくり研究会」がスタートしました。5月には、「アンドリュー・ワイエス展」に合わせて、ワイエスの作品「パイ用のブルーベリー」に因んだ「ブルーベリーデー」と名付けたイベントが行われました。
ブルーベリー色の服や所持品で入館料の割引を行い、ブルーベリーの苗をプレゼントするなどユニークな内容になりました。
6月には、レジェの版画集「サーカス展」に合わせて、「サーカスに行こう!」というイベントが行われました。催しの内容は、楽団の演奏、塗り絵配布、物販、ジャグリング挑戦など地域住民の皆さんにレジェの作品に興味をもってもらうように工夫したものでした。 海外ではEU各国を中心に、芸術・文化の創造性を生かして都市の活力を生む「創造都市戦略」が進められています。美術館という存在が市民にもっと身近になれば、芸術・文化を通したまちづくりが期待できるはずです。
このグループの中心である辻教授の専門は、近代英米文学、近代英国文化です。地域の宝として育っていくこのグループの活動を今後も見守っていきたいと思います。
---- K.M 著 ----
までいに暮らす田舎暮らし
福島県飯舘村は、県の浜通り地方の北部に位置し、緑豊かな自然に恵まれた約230平方㎞もある広大な面積を有し、人口6202人(21.4.1現在)の美しい田園風景が一望できる高原地帯にあります。 飯舘村では、平成17年に「大いなる田舎までいライフ・いいたて」を基本目標とした10年計画である第5次総合振興計画を策定しました。「までい」とは飯舘村周辺の方言で「手間暇を惜しまず」「丁寧に」「心を込めて」「時間をかけて」という意味です。わかりやすく言えば「飯舘流スローライフ」のことです。 「までいライフ宣言」では、① 人と地域のつながり ② からだと大地 ③家族の絆 ④ 「食」と「農」 ⑤ 人づくり の5つの「までい」を掲げて、新しいスローライフを提唱しています。 阿武隈山系北部の高原地帯に開けた美しく素朴な農村そのものが「地域の宝」なのです。村では、「村の素顔を見てもらうことが一番」と考え、今年度、福島県でスローライフを体験しませんかをキャッチフレーズに、「短期移住体験用住宅」の入居者を募集しました。住宅は、4LDKで、昭和55年の建築ですが、平成20年に改築し、家賃は月20000円で、駐車場、物置、専用の庭、菜園畑が付いています。畑の広さは、約10アールです。契約期間は1月から最長12月まで延長できます。現在は入居者がいますが、その人が退去すればまた募集します。 都会に暮らす人が週末や1年のうちの一定の期間を農山漁村で暮らすことを二地域居住と言います。村では、二地域居住を希望する都会の人に、田舎暮らしの楽しさを味わってもらい、できれば、移住に結びつけたいと考えています。5年前、横浜から飯舘村に移住してきた者が、この事業の村の総務課の担当者として相談に乗っています。 村では、今後も、新たに環境に優しいエコヴィレッジに挑戦するなど「までいに暮らす田舎暮らし」を充実させるための施策を展開していきたいと頑張っています。 ---- K.M 著 ---- 飯舘村のパンフレットより |
カレンダー
最新記事
(06/24)
(12/30)
(12/29)
(07/17)
(05/18)
ブログ内検索
カウンター
|